ヴァイキングは、船の技術と航海術を駆使して驚くべき航路を開拓しました。その航路は北大西洋を超えてヨーロッパ全土に広がり、彼らの勢力を拡大させる手段となったのです。今回は、ヴァイキングが用いた代表的な7つの航路について、それぞれの特徴と歴史的意義を紹介します。
ヴァイキングの航路開拓は、単なる略奪目的に留まらず、交易と文化交流の促進、さらには領土拡大も目的としていました。彼らの船「ロングシップ」が、強力な機動力を持ち、浅瀬でも自由に進めたこと、彼らが優れた航海術を持っていたことが合わさって、次々と新たな航路を探し出し、ヨーロッパ各地との接触を深めていったのです。
北欧からアイスランド、グリーンランド、さらには北アメリカ大陸へと向かうルートです。北大西洋はまだまだ未知で過酷な環境でしたが、この航路を開拓したことで、エリク・ソルヴァルドソン(950頃 - 1003)によるグリーンランドの発見や、レイフ・エリクソン(970頃 - 1020頃)による「ヴィンランド」(北アメリカ)の到達に繋がっています。彼らはこの航路を通じて、新たな土地を開拓し、定住地を築きました。(ただしアメリカへの定住は長続きせず)
バルト海は北欧と東欧を結ぶ重要な航路でした。ヴァイキングはここを通じて、スラヴ人との交易や文化交流を行い、特にルーシ族との結びつきを深めました。この航路は、キエフ・ルーシの発展にも寄与したと言われています。
イギリス海峡を経由した航路は、イングランドやフランスの沿岸を攻撃、占領、または交易するための重要なルートでした。アルフレッド大王(849 - 899)と戦ったヴァイキングは、この航路を活用して短期間で侵攻し、撤退する機動力を発揮しました。
地中海への進出は、交易活動の拡大を求めた結果でした。ヴァイキングはフランスのセーヌ川やロワール川を遡り、イタリア半島やスペインの海岸にまで到達。これにより、イスラム文化やビザンツ帝国と接触し、ヨーロッパ内外の技術と文化を取り込むようになるのです。
ヴァイキングはライン川を通じて、フランク王国内陸部への侵入を繰り返していたことでも知られます。機動性と速度を併せ持つロングシップが、この航路の利用を可能にしていました。
ただしこの航路は略奪目的だけでなく、交易の経路としても活用されました。
ドニエプル川を利用したルートは、東ヨーロッパへの進出において重要でした。ヴァイキングは、この川を通じて黒海に出ることで、ビザンツ帝国と交易を行い、文化的な交流を行っていたのです。
この航路を通じて東欧へ移動し、交易や傭兵活動を行ったヴァイキングは「ヴァリャーグ」と呼ばれ、一部は、ビザンツ皇帝の親衛隊として仕えることもありました。
カスピ海を経由する航路は、中東への進出を可能にするもので、ペルシャやアラブ商人との交易が行われました。ここでの交流は、絹や宝石といった貴重な物資を北欧にもたらし、ヴァイキング社会の懐を潤したのです。
ヴァイキングの7つの航路は、それぞれ独自の影響をもたらし、ヨーロッパの発展に多大な貢献をしました。
各航路を通じてヴァイキングは、異文化との交流を深めました。とりわけイスラム文化やビザンツ帝国からの技術導入が、北欧の文明発展を促しています。
航路開拓が進むたびに、絹、香辛料、金属製品など多様な交易品が北欧にもたらされ、市場が活性化していきました。航路開拓は交易圏の拡大を意味するので、経済基盤を強化する為にバイキングたちは海に出ていたのです。
ヴァイキングの航路開拓は、その圧倒的な戦闘力にも裏打ちされていました。あまりに強い異民族の侵入を受け、各国は防衛体制の見直しや強化を迫られ、中世ヨーロッパの軍事戦略にも革新を起こしているのです。
以上、ヴァイキングが使った7つの航路についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「ヴァイキングの航路開拓は、ヨーロッパ史において非常に重要な意味を持っていた」という点を抑えておきましょう!