ヴァイキング時代は、北欧から広がる激動の時代としてヨーロッパ史に大きな影響を与えました。 その冒険と戦闘は遠く西ヨーロッパ、そして北アメリカにまで及びました。そんなヴァイキングの始まりから衰退までの流れは、一体どのようなものだったのでしょうか?この記事では、ヴァイキング時代の発祥から滅亡までをわかりやすく年表でまとめています。
ヴァイキング時代は、793年にリンドスファーン修道院への襲撃から始まったとされています。この出来事は単なる略奪ではなく、北欧人が海を越えてヨーロッパに勢力を拡大し始めた象徴的な事件でした。修道士にとって大きな衝撃であり、ヨーロッパ中に恐怖をもたらしました。
年 | 出来事 | 解説 |
---|---|---|
793年 | リンディスファーン修道院襲撃 | イギリス北部のリンディスファーン修道院がヴァイキングによって襲撃され、ヨーロッパでヴァイキングの存在が広く知られるようになった。ヴァイキング時代の始まりを象徴する事件。 |
795年~ | アイルランド沿岸部への襲撃 | ヴァイキングはアイルランド沿岸を襲撃し、各地に拠点を築いた。ダブリンなどの都市は、後にヴァイキングの交易拠点として発展する。 |
839年頃 | コンスタンティノープルとの交易開始 | ヴァイキングはビザンツ帝国のコンスタンティノープルとの交易を開始。毛皮や奴隷などを提供し、ビザンツ帝国の近衛兵「ヴァリャーギ隊」としても雇用された。 |
845年 | パリ包囲 | ヴァイキングの首領ラグナル・ロズブロークがパリを包囲し、フランク王国から巨額の身代金を得た。フランク王国は以後もヴァイキングの襲撃に悩まされることになる。 |
866年 | ノーサンブリア王国襲撃とヨークの占領 | ヴァイキングがイングランド北部のノーサンブリア王国を征服。ヨークはヴァイキングの主要拠点となり、イングランド全土に影響を与えた。 |
865年~ | イギリス侵攻と「大異教軍」の到来 | ヴァイキングの「大異教軍」がイングランドに上陸し、イングランド各地に侵攻。エセックスやマーシア王国などがヴァイキングの支配を受けるようになる。 |
878年 | デーンロウの成立 | アルフレッド大王とヴァイキングの指導者グスルムとの間で条約が結ばれ、「デーンロウ」が成立。イングランドは、ヴァイキング支配地とアングロサクソン支配地に分かれた。 |
878年 | バトル・オブ・エディントン | アルフレッド大王がヴァイキング軍を破り、イングランド南部を守った。この勝利により、アルフレッドは「大王」と称されるようになった。 |
約874年 | アイスランド入植 | ノルウェーからのヴァイキングがアイスランドに定住し、独自の自治社会を構築。この地は後にヴァイキングの伝説やサーガの舞台となる。 |
882年 | キエフ公国の成立 | スウェーデン系ヴァイキングが東ヨーロッパに進出し、キエフ公国を創設。これは後のロシアとウクライナの基礎となる。 |
982年頃 | グリーンランド発見と入植 | エリク・ザ・レッドがグリーンランドを発見し、定住が開始された。新天地を求めるヴァイキングの冒険精神を象徴する出来事。 |
約1000年 | ヴァインランド到達 | レイフ・エリクソンがアメリカ大陸(現在のニューファンドランド近く)に到達し、「ヴァインランド」と名付けた。ヨーロッパ人が初めてアメリカ大陸に足を踏み入れたとされる。 |
1013年 | スヴェン1世のイングランド征服 | デンマーク王スヴェン1世がイングランドを征服し、デーン朝が成立。後に彼の息子、クヌート大王が北海帝国を築く。 |
1016年~1035年 | クヌート大王の支配 | クヌート大王がイングランド、デンマーク、ノルウェーを統治し、北海帝国を築いた。安定した支配によりヴァイキングの活動は一時的に沈静化した。 |
10世紀 | アングロ・サクソンのデーンゲルド制度 | イングランドは、ヴァイキングの襲撃から身を守るために「デーンゲルド(デンマーク人税)」を支払い、賠償金制度が発展した。 |
911年 | ロロのノルマンディー公国創設 | ノルウェー出身のヴァイキング指導者ロロが、フランス王と条約を結び、ノルマンディー公国を創設。後にこの地からイングランド侵攻が行われる。 |
10世紀 | ヴァイキング船技術の発展 | ヴァイキングはロングシップの技術を発展させ、広範囲の航海を可能にした。これにより、交易と遠征の範囲が拡大した。 |
1066年9月 | スタンフォード・ブリッジの戦い | ノルウェー王ハーラル3世がイングランドに侵攻するも、イングランド王ハロルド・ゴッドウィンソンに敗北。これがヴァイキング時代最後の大規模な戦いとされる。 |
1066年10月 | ノルマン・コンクエスト | ヴァイキングの末裔であるノルマンディー公ウィリアムがイングランドに上陸し、ヘイスティングズの戦いでハロルド・ゴッドウィンソンを破る。これがヴァイキング時代の終焉を象徴する出来事。 |
13世紀 | サーガ文学の成立 | ヴァイキング時代の物語や伝承がアイスランドで「サーガ」として記録された。サーガはヴァイキング時代の文化や出来事を伝える貴重な歴史資料。 |
ヴァイキング時代が終わったのは、単なる戦争の敗北だけが理由ではありません。いくつかの要因が組み合わさり、この時代を終焉に導きました。
ヴァイキングがヨーロッパ各地に影響を及ぼすにつれて、キリスト教が北欧にも浸透しました。これにより、戦闘的な文化が徐々に変化し、キリスト教社会との同化が進んだのです。
ヴァイキングの主要な活動であった略奪から貿易への移行は、彼らの征服意欲を次第に薄れさせました。交易が発展するとともに、戦争よりも経済活動が重視されるようになったのです。
ヴァイキングの襲撃に対抗するため、ヨーロッパ諸国は防備を強化しました。要塞の建設や軍事技術の向上により、ヴァイキングにとって一筋縄ではいかない状況が生まれました。
ヴァイキング時代は、ただの侵略と戦闘だけでなく、海洋探検や交易、文化的交流を通じてヨーロッパ全体に影響を与えました。
ヴァイキングはその航海技術や工芸品によって、ヨーロッパ各地に文化的な刺激を与えました。彼らの影響は言語や遺産の中にも見て取ることができます。
ノルマン人がフランスに根付き、後のノルマン朝を築いたことで、イングランドやフランスの政治体制にも大きな影響を及ぼしました。ノルマンディー公国がイングランドを征服した1066年の「ノルマン・コンクエスト」がその一例です。
以上、ヴァイキング時代の流れについての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「ヴァイキング時代は約250年間、ヨーロッパを変革し続けた」という点を抑えておきましょう!