ノルウェー王に選ばれるオーラヴ王
ペーテル・ニコライ・アルボ(1831 - 1892)が描くオーラヴ・トリグヴァソン王の戴冠場面(1860年頃)
出典:Peter Nicolai Arbo(Author)/Wikimedia Commons Public domainより
ノルウェーを“北のキリスト教国家”へと導いた立役者がいました。それがオーラヴ1世トリュグヴァソン(963頃 - 1000)です。
彼は生まれながらにして波乱の運命を背負い、漂流、略奪、そして王位へ──まさにヴァイキングらしい数奇な人生の末に、ノルウェー全土にキリスト教を広めるという大胆な変革を実行します。この記事では、そんなオーラヴ1世の人生をたどりながら、彼の人物像と与えた影響をじっくり見ていきましょう。
ノルウェー王位をめぐる争いのなかで、彼はどのように頂点へと登りつめたのか──
オーラヴ1世はノルウェー王トリュグヴィ・オラフソンの遺児として生まれましたが、幼くして父が殺され、一族も追放。彼自身も命を狙われて国外逃亡を余儀なくされます。バルト海沿岸やロシアなどを転々とし、奴隷として売られたという記録すらあるんです。
青年期には海賊として名を馳せ、イングランド南部などで激しく略奪を行いますが、やがてキリスト教に改宗。西暦995年、ノルウェーの王位を奪還し、王として即位します。そこからは急進的なキリスト教化政策を推進し、各地で神殿を破壊し、異教徒の豪族に容赦ない改宗を迫ったとされています。最期は1000年のスヴォルドの海戦で敗北し、消息不明となりますが、その名はノルウェー史に深く刻まれました。
豪胆で冷酷、けれど神に忠実──そんな複雑な人物像が残されています。
オーラヴ1世のキリスト教政策は、いわば「剣と十字架の二刀流」。暴力をも辞さず、頑なな豪族には容赦ない弾圧を加えたことでも知られます。あるサガでは、改宗を拒否した酋長の目の前で偶像を粉砕し、海に投げ捨てたという逸話もあります。
一方で、彼は詩人を庇護し、スカルド詩の文化を発展させたとも言われます。スカルド詩とは、韻律や構造にこだわった古ノルド語の叙事詩。王自身も詩作に関わったとされ、力と教養の両面をあわせ持った人物だったんですね。
ノルウェーという国のアイデンティティに、彼がどれほどの影響を与えたか──それは現在に至るまで続いています。
オーラヴ1世の即位以前、ノルウェーは多神教が主流。ですが彼の急進政策によって、王の権力のもと全国規模で教会が建設され、聖職者のネットワークが整備され始めます。のちの聖オーラヴ(オーラヴ2世)によって制度化が進みますが、その地盤を築いたのは間違いなくオーラヴ1世だったのです。
オーラヴ1世は、ヴァイキングの伝統的価値観と、新たなキリスト教世界観を接合した象徴的な存在。彼の治世は、北欧の「異教世界」から「ヨーロッパ世界」への橋渡しでもあったんです。その意味で、彼はノルウェー史だけでなく、ヨーロッパ宗教史においても無視できないキーパーソンだったといえるでしょう。
このようにオーラヴ1世は、波乱の生涯を経てノルウェーを宗教的にも政治的にも一つにまとめようとした人物でした。剣と信仰のバランスを取りつつも、決して曖昧な立場は取らなかった強い王──それが彼の魅力なのです。