アゼルスタン王
927年に最後のヴァイキング王国ヨークを征服し、イングランドの統一王となった
肖像は公有ドメインの作品を忠実に再現
出典:Unknown author / Public Domain
イングランドという国家の“はじまり”を語るうえで、絶対に外せない人物がいます。それが、ヴァイキングの侵略を退け、散らばっていた諸王国を束ねたアセルスタン(895頃 - 939)!
その名を聞いてピンとこない人もいるかもしれませんが、彼こそが「最初のイングランド王」として歴史に刻まれた重要人物なんです。
今回は、そんなアセルスタンの波瀾万丈な人生と、その功績がイギリス史にもたらした大きな転換について、わかりやすく解説していきます。
まずは、アセルスタンという王の生涯の流れを見ていきましょう。
アセルスタンはウェセックス王エドワード長兄王の息子として生まれました。父王の死後、王位を継いで927年にノーサンブリアを征服し、ついにアングロ・サクソン諸国を統一。「イングランド全土の王」として即位するんです。これが、現在のイングランド王室の礎でもあるわけですね。
937年、アイルランド・スコットランド・ヴァイキング勢力が手を組んで攻め込んできたとき、アセルスタンはブランズワースの戦いでこれを撃破。この勝利は後に「イングランド建国の決定打」と称されます。しかし、その後は急速に表舞台から退き、939年に没しました。死因は自然死とされますが、その詳細は謎のままなんです。
王としての手腕だけでなく、人となりを伝える逸話にも注目してみましょう。
アセルスタンは、戦士王でありながら知識や文化を重んじる王でもありました。教会や修道院への保護を惜しまなかったことから、聖職者たちにとても評判が良かったんです。とくに写本文化の保護者としても知られ、多くのラテン語書物が彼の治世で編まれました。
彼の宮廷は、イングランド以外から来た貴族や外交使節がたくさん集まる国際色豊かな場所でした。甥にあたる神聖ローマ皇帝オットー1世との関係も深く、アセルスタンの妹がオットーの妃となったことで、ヨーロッパの諸国と積極的に結びついていったのです。
イングランド王としてのアセルスタンの功績は、のちの時代にも大きな影響を残しています。
それまで南北に分裂していたアングロ・サクソン諸国を統一し、初めて「イングランド王」として戴冠したのがアセルスタンです。つまり、彼によって、イングランドという“国”の形が本格的に始まったと言っても過言ではありません。
とくに重要なのが、彼がヴァイキング勢力を本格的に追い払ったという点。デーン人などの北欧勢力に脅かされていた諸都市を平定し、国内の安定を図ったんです。これによって、交易や農業といった“平時の社会”が回り始めたという側面も見逃せません。
こうして見ると、アセルスタンは単なる戦争上手な王ではなく、文化・宗教・外交すべてに目を配った“完成度の高いリーダー”だったんですね。イングランドという国の土台を作り、後の大英帝国への道を開いた偉大な王だったと言えるでしょう。