アルフレッド大王(849 - 899)
ヴァイキングの侵攻を食い止め、イングランド統一の礎を築いた伝説的なウェセックス王
出典:Samuel Woodforde / Public Domain
ヴァイキング時代のブリテン島で、最も伝説的な王といえばこの人──アルフレッド大王!
彼が登場するまでは、ブリテン島の諸王国は次々とヴァイキングに蹂躙されていた時代。そんな絶望の空気を変えたのが、ウェセックス王国の若き王・アルフレッドだったのです。
この記事では、ヴァイキングの猛攻に立ち向かい、国家の再建と文化の振興にも尽くした“多才な王様”アルフレッドの人生とその意義を、わかりやすく紹介していきます。
まずは彼の波乱に満ちた生涯の流れから見ていきましょう。
アルフレッドはウェセックス王エゼルウルフの末子として生まれ、幼少期から知性と信仰心にあふれていたと言われています。
しかし即位の直前、ヴァイキング──とくにデーン人による侵攻が激化。兄たちが次々と戦死し、ついにアルフレッドが王位を継ぐことになります。これが871年、彼がまだ20代半ばのころのことでした。
878年、アルフレッドはアシェルの戦いでヴァイキングの大軍に敗れて逃亡。湿地帯での潜伏生活を経て、わずかな兵を再編成しエディントンの戦いで奇跡の大逆転を果たします。
これ以降、デーン人との和平と領土分割(デーンローの成立)を図りつつ、内政改革にも力を注ぎました。899年、自然死によりこの世を去りました。
アルフレッドの人柄を伝える逸話は数多く残っています。
有名なのが「焼けたケーキ」の逸話。戦いに敗れて農民の家に身を寄せていた際、老婆にパンを焼くよう頼まれたアルフレッドがうっかり焦がしてしまい、怒られるというもの。
王であることを隠していた彼が、叱られても平然としていたという話から、慎ましさと忍耐力を持った人物像が浮かび上がります。
アルフレッドは学問と教養を非常に大切にした王で、なんと自らラテン語から英語への翻訳まで行っています。しかも聖職者たちに教育を徹底させ、読み書きできる役人を増やそうと制度改革まで行ったのです。
対ヴァイキングのロングシップとアルフレッドの艦隊
897年、アルフレッド大王の艦隊がヴァイキングのドラゴン船を襲撃する様子を描いた1922年作のリトグラフ
出典:Henry Albert Payne(Author)/Wikimedia Commons Public domainより
アルフレッドが残したものは、単なる軍事的勝利だけではありません。
彼の最大の功績は、やはりヴァイキングの南下を食い止めたこと。エディントンの戦い以降、デーン人との境界線を引き、ウェセックス王国の安全を確保したことで、ブリテン島の南部を守り抜いたんです。
のちのアセルスタンによる統一国家形成の土台は、この時に築かれたとも言えるでしょう。
アルフレッドは国内法の整備にも熱心で、古代ゲルマン系の法典をベースに初のイングランド王国法典を編纂。また、国語教育や修道院の再建にも取り組み、国家の知的水準を底上げしました。
こうして見ると、アルフレッド大王は「剣だけじゃなくペンでも戦った王」だったんですね。ヴァイキングの混乱をくぐり抜けながら、知性と信仰で国を立て直した──そんな彼の姿は、まさに理想の王様そのものだったと言えるでしょう。