バイキングの航海ルートと定住地マップ(1千年紀)
淡青色:バイキングの航路、淡緑色:第1千年紀の主な定住地域を示す地図
出典:Bogdangiusca(Author) / CC BY‑SA 3.0
ヴァイキングといえば、激しい戦士や冒険家の姿を思い浮かべる方も多いでしょう。彼らの活動範囲はどこからどこまでだったのでしょうか?スカンジナビアの海辺から広がり、イギリス、フランス、地中海、さらには北アメリカにまで到達したという話をご存じですか?本記事では、ヴァイキングがどのようにして広範囲にわたる領土を影響下に置いたのか、その軌跡を追いかけます。
ヴァイキングの活動はスカンジナビア半島を起点としました。現在のノルウェー、スウェーデン、デンマークにあたるこの地域は、厳しい自然環境と限られた農地を背景に、航海と交易を求めた冒険心が育まれた土地でした。この地域から彼らは、船を駆使して新たな地へと進出していったのです。
ヴァイキングは8世紀末から9世紀にかけて、スカンジナビアを超えてヨーロッパ各地に進出しました。彼らは略奪と交易を通じて多くの地域に影響を及ぼしました。そしてその活動範囲は、最終的にはアメリカまで拡大していきました。
イギリスは特にヴァイキングの活動が顕著だった地域です。793年のリンディスファーン修道院襲撃は、彼らのヨーロッパ侵攻の始まりとして有名です。この事件を皮切りに、ヴァイキングはイングランド各地に拠点を築き、デーンロウと呼ばれる支配地域を形成しました。
フランスでもヴァイキングの影響は大きく、彼らはセーヌ川を遡ってパリを攻撃したこともあります。911年にはヴァイキング首領ロロ(約860年 - 932年)がノルマンディー公国を建国し、フランスとの政治的な関係を築きました。
意外かもしれませんが、ヴァイキングは地中海にも進出しています。彼らはスペイン沿岸やイタリア、北アフリカの一部まで到達し、イスラム世界と接触することで交易と戦闘を繰り広げました。
西ヨーロッパだけでなく、東ヨーロッパへの進出もヴァイキングの特徴です。特に、リューリク(約830年 - 879年)によって設立されたルーシ国家は、後のロシアの基盤となります。ヴァイキングはバルト海からドニエプル川、ヴォルガ川を通って東ローマ帝国やイスラム世界との商業路を確立しました。
驚くべきことに、ヴァイキングは北アメリカ大陸にも到達しています。レイフ・エリクソン(970年頃 - 1020年頃)は、11世紀初頭に「ヴィンランド」と呼ばれる土地に到達しました。現在のカナダのニューファンドランドと考えられており、この発見は、コロンブスのアメリカ大陸到達よりも数百年早かったのです。
カナダのランス・オ・メドー遺跡は、ヴァイキングのアメリカ到達を証明する重要な遺跡です。考古学的調査により、11世紀のヴァイキングの存在が確認されています。
以上のように、ヴァイキングが築いた広大な活動範囲は、ヨーロッパの経済、文化、政治に長期的な影響を与えました。彼らの航海技術や交易路は、後の大航海時代の礎となり、ヨーロッパ全体の発展に寄与しました。
以上、ヴァイキングの活動範囲についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「ヴァイキングはその活動範囲を通じて、世界史における重要な原動力となった」という点を抑えておきましょう!